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第22号 2010年 7月26日 平野武文税理士事務所 発行 http://www.office-hirano.com/ |
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今月の目次 ・はじめに ・よみとく ・・・平成23年度の所得税改正 ・七色めがね・・・老舗に学ぶ ・テリマカシ・・・福岡大空襲 ・あとがき |
はじめに FIFAワールドカップが終わりました。 久しぶりの『鷹の爪』も、応援いただけると幸いです。 |
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平成23年度の所得税改正
16歳未満の扶養控除が廃止になります扶養控除については様々な議論がなされましたが、以下のように改正されることとなりました。 |
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1.16歳未満の年少扶養親族に係る扶養控除(38万円)を廃止
代わりに今年4月分から子供手当て支給1人月額13,000円が支給されます。 ・所得控除が扶養控除(15歳以下の子供1名の場合)と基礎控除のみの場合の (単位:円)
(1)扶養控除廃止前
上記の通り、扶養控除の廃止により給与所得者の納付する税額は増えます。しかし、子ども手当により支給される金額が13,000円×12月=156,000円ありますので、年収1,000万円くらいまでの給与所得者については可処分所得は増えることになります。 2.16歳以上23歳未満の特定扶養親族のうち、年齢16歳以上19歳未満の者に係る扶養控除の上乗せ(25万円)を廃止 代わりに来年4月から国から学校又は学校設置者に対し下記の金額が支給されることになり、授業料が公立高校で無償、私立高校では軽減されます。
ただし、上記の改正は平成23年分以後の所得税(平成24年度分以後の住民税)から適用されますので、今年(平成22年)の所得税はこれまで通りとなります(住民税は1年遅れのため、平成23年度分までこれまで通りです)。 |
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老舗に学ぶ−世界最古の会社が日本にある− 世界最古の会社が日本にあることをご存知ですか。テレビでも取り上げられたので、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。その会社は大阪にある「金剛組」という建築会社です。 578年飛鳥時代創業で1,400年余り続いています。 聖徳太子の時代から続いている会社が日本にあるなんて、思いもしませんでした。 世界中で200年以上続いている老舗を調べてみると、日本:3000、ドイツ:800、オランダ:200、中国:9、韓国:0というデータがありました。驚くことに日本はずば抜けて老舗の数が多いのです。 どうして、日本では外国よりも長年会社を続けていけるのでしょうか。 ノンフィクションライターの野村進氏は、老舗製造業に関して5つの共通点を以下のように述べています。
しかし、このような特徴を持たない老舗もあります。「ずっと変わらない老舗」です。これまでのやり方で間違いはなかったと信じ、新しいものを取り入れることに対してすこぶる慎重になっているところです。こういった老舗は危ないと言われています。時代は変わります。「由緒ある」ことだけでは何の保証にもならず、風格や品位といったものでは必ずしも多くの人を魅了しなくなっています。悲しいことですが、なくなっていく老舗もあるのです。 今成功している老舗もその多くは、時代の変化とともに仕事がなくなり、存続の危機にさらされながら、試行錯誤をして現代にまで生き延びてきているのです。
売れる商品を開発した際に、大手企業が共同事業をもちかけ、渡した資料やデータを元に大手企業が製品を開発し、収入が激減した老舗があります。 経営者なら自社の発展、存続を願って努力するのは当然のことでしょう。しかし、今日の日本は、景気が悪く、多くの企業にとっていい時代ではなく、経営者の方がとても苦しい状況にあることは社会経験の浅い筆者でも容易にわかります。 世界最古の企業が日本にあることを知り、何か嬉しい気持ちと同時に継続することの難しさを知るにつれ、現代日本が置かれている環境の中で、いささかでも役に立つことができる力を身に付けねばと改めて思います。 M・E
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福岡大空襲 梅雨明けしたと思ったら、いきなりの猛暑となり、やがて今年も8月15日、太平洋戦争終戦の日を迎えることになる。日本人なら誰もが知っている“平和を祈念する日”である。 しかし、その日からおよそ2ヶ月前の昭和20年6月19日のことを、いかほどの人がご存知だろうか? 午後11時過ぎから約2時間、南太平洋マリアナ基地を飛び立った米軍機B29重爆撃機221機が福岡市に焼夷弾を投下した、「福岡大空襲」の日である。 今年で終戦後65年が過ぎようとしている。 蒸し暑い日本の夏に思う。 太平洋戦争中である昭和19年頃から福岡市では、空襲時の火災を最小限に止めるために、日本軍の命令によって民家の“強制疎開”、つまり家屋の引き倒しと撤去が始まり約1万5千戸が取り壊された。 どこの被害も悲惨であったに違いないが、中でも、博多区上川端町「第十五銀行ビル」の地下室へ退避した住民63名が、停電のため出入口の鉄扉が開かず、熱風とガスにより焼死、窒息死したことは、空襲の凄惨さを如実に語っている。 戦後間もない昭和23年、福岡市で国民体育大会のために競技場建設が行われ、翌昭和24年に野球場が建設された。大空襲を受けた福岡の街は平和への祈りを込めて、そこを「平和台球場」と名付けた。 65年が過ぎ去ろうとしている今、人々の戦災の記憶、平和であることの感謝心が、歳月とともに風化していることが確実にわかる。 しかし、現在の日本という国が、戦争を体験した人の辛酸の上に、戦後はかり知れない努力と苦労が積重なって復興されてきたということを、空襲によってたった数時間で焦土と化したわが福博の街の変身を通して、私たちは「想像」することはできる。たとえ、太平洋戦争を経験していなくても、経験者から直接話しを聞くことができなくても、本であったり映画であったり、ときには漫画であったり、今ではインターネットからであったりと、いろいろなものから知ることができる。そして、当時へ“思いを馳せる”ことはできる。 そうすることが、平和への感謝と同時に、それぞれに問題を抱えながら今を生きている私たち自身の人生を“鼓舞”することになるのではないかと思う。 焼け野原になった街を見渡し、「何もかも無くなった、もう終わりばい」と絶望し虚脱した、当時の人々の心を想像すれば、今の私たちは、 K・N |
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終わりに 最後まで、お読みいただきありがとうございます。 体調を崩しやすい時期です、くれぐれもお体にお気をつけ下さい。 ご意見、ご感想、ご要望ございましたら、どんなことでも構いません。ぜひお聞かせ下さい。 (こちらからどうぞ melmaga@office-hirano.com)
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